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環境破壊と「沈黙の春」が与えた影響

化学物質による、大気、水、土壌汚染が地球全体の環境を脅かすという感覚は、現代に生まれた感覚です。

世界的な規模での環境問題、化学物質の問題点を提起したのは、レイチェル・カーソンによる著書「沈黙の春」によるものが大きいとされています。彼女の著書は世界の環境汚染への認識を改める起爆剤となったのです。

環境汚染の歴史と産業革命

自然界には本来存在しない、あるいは存在量が少ない化学物質が大量に地球に放出されるようになったのは、科学の発達によるものが大きいと思います。

効率的に大きなエネルギーを取り出すことを可能にした蒸気機関は18世紀から19世紀にかけてイギリスで起こった産業革命は産業の効率化と大規模化をもたらすのと同時に石炭などの化石燃料利用の拡大を牽引しました。
しかしながら、科学の進歩により便利な生活が得られた反面、その化石燃料の使用によって排出される排ガスによってロンドンでは断続的に大気汚染が発生しました。しかし、それが、まだその時代のイギリス国民にとっては人間の生命を脅かす深刻なものであるという社会的な認識はありませんでした。

ロンドンスモッグ

かつてのロンドンは「霧の街」と言われるほど大気汚染が深刻化していました。しかし、それに関して具体的かつ効果的な対策は取られず、日ごとに深刻化していました。そしてついに、1952年大きな事件が発生しました。それが「ロンドンスモッグ」と呼ばれる公害事件です。これは、史上最悪規模の公害事件として認識されています。

ちょうどその年に地上交通網としてディーゼルエンジンを積んだバスが整備されたことで、大量の軽油が消費され、しかも冬は暖房器具の使用により、大量の排気ガスが放出されていました。この排気ガス中に含まれる酸性ガスによって、pH2の酸性スモッグが発生し、ロンドン市内では目先も見えないほどでした。このスモッグは建物内にも侵入するほどで、このスモッグを吸引した人々は呼吸器症状を訴え、合計死者数は1万2千人にも及びました。

この事件をきっかけに1954-1968年にかけてイギリスは法律を制定し、すすの多い石炭や軽油などの使用を規制する方向に動きました。

日本最初の公害事件・足尾銅山鉱毒事件

日本の公害の原点は1878年足尾銅山鉱毒事件です。金属精錬に排出される亜硫酸ガスや銅などの金属塩などが排出され、酸性雨の発生により、山が枯れ、水害が発生、汚染された水により水生生物が大量死、周辺田畑の汚染などが起こった事件です。日本国内で社会運動を巻き起こしました。


「緑の革命」と「沈黙の春」

ロンドンスモッグ事件により、環境汚染が多くの人命を奪うことが発覚し、社会に衝撃を与えましたが世界的なムーブメントは起こしませんでした。

ちょうどこの頃、1940-1960年代にかけて、科学の発展が一つの革命を起こし始めていました。それが「緑の革命」です。

科学がもたらした「緑の革命」

緑の革命は、アメリカの農学者ノーマン・ボーローグが主導しておきた農業革命です。ノーマンは「世界の食糧不足の改善に尽くした」という理由でノーベル平和賞を受賞しました。ノーマンはこれまで蓄積してきた科学技術を農業に反映させ、効率的な農業を行うことによって、食糧不足を解決させようと奮闘しました。緑の革命によって生み出されたものは品種改良された小麦、とうもろこし、稲です。この品種改良された小麦は3倍の収穫量が得られ、フィリピン、インド、パキスタンなど人口増加に食糧生産が追いつかなかった国々の農業生産を急増させることによって、食糧不足の懸念を払拭しました。

緑の革命がもたらした弊害

緑の革命は一見大成功をおさめたように見えました。しかし、1970年には緑の革命は環境破壊をもたらし、農業を弱体化させ、貧困を拡大させたと非難を浴びるようになりました。

なぜそんな事になったかというと、品種改良種が「収穫量を増やすこと」のみを考えて作られたものだったからです。

品種改良された小麦は、化学肥料や農薬、灌漑設備などが必要だったのです。

一時は、収量が増えましたが、大量の農薬と化学肥料の使用、大規模な灌漑は環境負荷が高く、逆に収量がへり、地元農業を脅かしてしまいました。

化学肥料や農薬が環境に与える影響などを全く考えていなかったので、このような問題が起きました。

そのなかで使われていた農薬の一つにDDTがありました。

レイチェル・カーソンによる「沈黙の春」の出版

レイチェル・カーソンは米国で生まれ、ペンシルバニア大学、ジョンズ・ホプキンス大学院で発生遺伝学を学び、卒業後は商務省で水生生物の保護管理などのを行っていました。著書「沈黙の春」執筆のきっかけは友人からの手紙で農薬であるDDT散布による鳥の大量死を知ったことです。

強力な農薬DTT
パウエルミュラーによって開発されたDTT(ノーベル賞受賞)は殺虫剤、農薬として使われていました。当時は、動物にたくさん食べさせないと毒性がないことから、昆虫類にしか毒のない安全な農薬として認識されていました。DDTは発疹チフスを媒介するシラミやマラリアを媒介する蚊の駆除剤として、当時は頭から真っ白な粉をかぶるというような農薬の使い方をしていました。実際に感染症の予防に役立ちました。

安価で持続性があり、安全なDDTは世界で大量に使われていました。

このDDTの使用が鳥の大量死につながっているとレイチェル・カーソンは著書「沈黙の春」にて訴えました。

その後の調査により、食物連鎖の頂点に立つ鳥類は、生物濃縮により高濃度のDDTが濃縮されたり、全世界に拡散したDDTは南極でも見つかるなど、多くの発見があり、世界的なDDT禁止運動に発展しました。

「沈黙の春」は科学の良い側面だけを見てきた社会に対して、その背後に隠された弊害の存在を提起し、社会問題としての環境問題を世界に認識させることに成功しました。あらゆる化学物質が環境に与えうる効果を考えさせるきっかけになったのです。

一つの著書が世界の認識を変化させたひとつの「環境革命」であるとも言えると思います。

DDTは悪なのか?

「沈黙の春」はその情緒的な論調から多くの人々の心をつかみました。一方で「沈黙の春」は農薬や化学肥料といった化学物質の悪い側面を肥大化させてしまうという弊害をもたらしました。

DDTは悪として世界的に禁止されましたが、当時指摘されていたDDTの悪作用のいくつかはDDTによるものではなかったのです。

「沈黙の春」が残した功績は素晴らしいものですが、化学物質に対する真実ではない内容も広がってしまいました。

例えばDDTの人間に対する毒性は現在使われている農薬と大差ないこと。指摘されていた発がん性は人では認められないことなどです。環境残存性も想定よりも長くないことが明らかになっています。

DDTは安く効果的な農薬であり、上手に使えば命を脅かすマラリヤチフス、黄熱病の予防に繋がります。発展途上国にとってはDDTは使いやすい農薬でしょう。

DDTの影にひそむパラチオン、PCB

パラチオンはサリンなのどの毒ガス開発で有名なゲルハルト・シュラーダーによって開発された農薬です。これは毒ガスを基に開発されたことからも、非常に強い神経毒性を持つことがわかっています。パラチオンはDDTと同様によく使われた農薬ですが、パラチオンはその毒性から、死者を多数だす危険な農薬だったのです。しかし、DDTほどその悪名は高くないように思えます。

また、DDTやパラチオン以外にも環境負荷のことなどお構いなしに大量に使われていた化学物質はたくさんあります。

その一つがPCBです。PCBはコンデンサーなどの絶縁油など電気工業製品の材料に使われていました。これもDDTと同様に安定で脂溶性が高いことから生物濃縮の問題がありました。PCBは急性毒性が強く、環境ホルモン物質としての作用もあることからたちの悪い汚染物質です。

何を優先するのか?弊害はかならずある

農薬にしろ化学物質の使用がもたらす良い側面と悪い側面は必ず存在します。一方のみを指摘し、避難することは問題だと思います。

途上国ではDDTの全面的な禁止の結果、マラリアなどの病気が増加し、死者がたくさん出ているそうです。DDTの代わりにもっと毒性の高い農薬を使用するという本末転倒な自体が起きています。

近年は「沈黙の春」が科学的ではない、不必要な煽りが結果的に害をもたらしているとして、レイチェル・カーソンに対する非難がでているそうです。

沈黙の春の有名な冒頭

自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた」「春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜はあける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地――みな黙りこくっている」「でも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍いだったのだ」
(沈黙の春:冒頭より)

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