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選択肢を広げて良い選択肢を選ぶ方法 選択の科学1

選択とは複数の選択肢から選ぶことを意味します。

選択が時に大きな意味を持つことはご存知のことでしょう。
なぜなら選択によって未来が変化するからです。

「どの選択肢を選ぶか?」によって未来が良くも悪くも変化することをみなさんは体験しているはずです。

「人生」は一見複雑そうに見えますが、シンプルに捉えれば「行動選択の連続」と解釈できます。
ルネサンス期を代表する劇作家・シェイクスピアも「人生は選択の連続である」と述べていますね。

私達は意識・無意識に関わらず日々選択を行っています。

出典が不明ですがネット上では良く「一日に35,000の選択を行っている」と言われています。根拠となるデータが不明瞭なので詳しくは言及しませんが、あまりにも膨大な数であるため、数字の中には無意識的な選択・ルーチン化した選択なども含まれていると思われます。

無意識的な意思決定よりも重要だと思われる意識的な決定については、ジャムの法則で有名な「選択・意思決定の研究者」コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授が公演の中でアメリカ人は毎日70回の意識的な決定を行っていると述べています(文献は未公表?)。

この数を多いと捉えるか、少ないと捉えるかは人それぞれだと思います。

しかし、重要なのは具体的な選択の数ではなく、毎日たくさんの選択を行っているという事実です。

一日の選択のほとんどは、人生にとってそれほど重要な意味を持たないものかもしれません。しかし、その中の一握りの選択は個人を悩ませ、苦しませる原因となっており、より良い選択がより良い未来をもたらすと人々は信じています。

本記事では「選択」の意味と「選択にまつわる科学」を紹介していきます。

選択を人に委ねていませんか?

かつて大学で研究をしていた頃、私は研究室の仲間たちの相談に良く乗っていました。相談の多くは自身の研究の展望や就職先など、彼らの将来の不安に関する内容でした。

私は彼らの力になれたらと思い、できるだけ真摯に対応していました。

実際に私の相談を受けたことで彼らにメリットがあったかどうかは分かりませんが、少なくとも私にはメリットがありました。

彼らの相談に乗ることで私自身が多くの気づきを得ることができたのです。この経験を通して分かったことの一つが「選択」に関わることです。

彼らの悩みはずばり「どのような選択をすべきか?」というものです。

例えば、後輩の男性は博士課程に進学すべきか?就職すべきなのか?という2つの選択に頭を悩ませていました。これらの選択は彼の将来を大きく左右すると考えられるため、人生における困難な選択の一つでしょう。

私が相談に乗る時に必ず聞く質問があります。それは「あなたは何がしたいのか?」です。

つまり、あなたが達成したい目標・実現したいゴールは何か?ということを尋ねます。

進学か就職で迷っていた彼は、修士課程卒業後にどうしたいのか?何をやりたいのか?を聞きました。

その答えによっては進学すべきか就職すべきかが変化するからです。どちらでも対応できる場合は更に一緒に考えて問題を深く掘り下げていきます。

しかし、彼は進学後に何をしたいか?どうなりたいかなど将来の展望が全く描けていませんでした。何をやりたいかに彼は迷っていたのです。

相談に乗っていくうちに彼はなぜ進学したいのか?という自分の意思や感情をうまく考えられていないことが分かりました。また、進学することのメリットやデメリット、進学後の具体的なキャリアプランなどの知識も不足していました。

つまり、選択に必要な自己意思と選択肢に関する知識・経験が不足していたのです。こうした状態では選択の基準を作ることができず、選択の後にどのような結果が得られるかイメージできる訳がありません。

これが選択に悩む人の共通点であることに私は気が付きました。

不思議なことに答えの無い重要な選択に迷う多くの人は「自分がどうしたいのか?」ということを自分自身で理解していません。言い換えれば多くの人は選択肢に悩んでいないのです。

なぜこのような状況に陥ってしまうのでしょうか?1つは、差し迫った選択の期限があるため、止む終えずに選択をしているに過ぎないということです。

これらの事実は、私には不可解なことに感じました。だって、将来を大きく左右するような重要な選択は後回しに、他人に任せるにも関わらず、昼食のメニューは何にするのか?といった重要でない選択は率先して決めたがるからです。

実際には将来を決めるような選択は難しいでしょう。困難な選択というものは大抵経験が少ないもので、人生に一度きりしかないようなものが多いです。人から教えられるようなものでもないので準備不足なのはむしろ当たり前であり、それを責めるつもりはありません。ですから、相談によって知った後から考えていけばよいというのが私の意見です。

私は将来に悩む彼が具体的なイメージを抱けるように、博士課程に進学した自身の経験や就職した友人の話などを詳しくしました。さらに、できるだけ選択肢は多い方が良いと思い、就職後に博士号を取得するパターンなども話しました。

それを知った彼は少し困惑した様子だったので「すぐに決める必要はないから、様々な人に相談して、日にちをかけてじっくり決めると良い」と言って帰しました。

数週間たった頃に彼から進学をするつもりだということを聞かされました。なぜそのような決定になったのか訪ねたところ「どうやら私は博士課程に進学したいみたいだ」という答えが返ってきました。次に私は卒業後はどうするのか訪ねるとこのような返答が返ってきました。

「まだ考えていません」

その後何度か同じような相談を彼から持ちかけられました。その内容は「進学したほうが良いか?」です。

彼は相談してよかったと前向きに捉えていました。将来が決まってきたといいます。

最初の進学or就職、から進学したいけど進学すべきではないのか?というように変化したのです。

これで進展したと思いますか?実はこのような結果になる相談は結構多いのです。

ここで悩みやすい人が持つもう一つの共通点を発見しました。

それは選択基準として自分の意思よりも客観的にみてベターなほうを選択する傾向があるということです。

彼らは他者が良いと思うものを選択するということを意味します。つまり、選択を他者に委ねるのです。

相談中私は彼らが自主的選ぶように話しているのですが、相談を受けていくうちに私に決めてほしいというように彼らの気持ちが変化していくのを感じるのです。

なぜ彼らは将来を決めるような重要な選択なのに他者に選択を委ねるのでしょうか?自分で決めることを避けるのでしょうか?

この問いに対する直感的な答えは「重要な選択ほど失敗したくないので、経験があって信頼できる人に正解を選んで欲しいと思うから」でしょうか?。また、どうやら彼らは深く考えて悩むのが苦手で面倒に感じ、選択肢を減らして感覚的に選ぼうとする傾向があるようです。

実際に自分自身の意思を決めるのは意外と労力が要ります。日本人は特にそう感じるひとが多いかもしれません。正解がない自分自身への問いの答えを他者に求めらることは本来できません。しかし、他者に合わせる傾向の強い人は他者の選んだ選択、多くの人が選ぶ選択を選ぶ傾向がある気がします。

私は何度か「あなたは選択を人に委ねていませんか?」という質問を間接的に投げかけたことがあります。

すると多くの人は「いいえ」と答えます。

しかし、私は重要な選択ほど人に委ねる傾向があることを感じています。これは不思議なことです。実は人間の選択にまつわる研究からこのような不思議なことがたくさん見つかっているのです。


選択する欲求

どんな選択をするのか?は基本的に個人に委ねられています。

多くの人は他者に選択されるのを嫌います。なぜなら人間は誰しも自分の思い通りにしたいという欲求があるからです。

食事のメニューは決められ、住む場所、着る服、仕事、就寝時間ありとあらゆることが決められていることを想像してください。まるで牢獄に入れられているような感覚におちいるのではないでしょうか?

あらゆることが他人に決定される状況では「人は不自由を感じ、大きなストレスを受けます。

自由を象徴する資本主義革命の一つ「フランス革命」が起こった時期に活躍したヘーゲルは真の自由について考察した近代哲学者の一人であり、自身の著書「History of Philosophy」のイントロで「人間の本質は自由である」と述べています。彼の言うように人間は本能的に自由を求めています。その証拠に文化による差異はあれど、他者に行動を決められるのは嫌う人が多いはずです。

人類が自由を求めることは歴史も示唆しています。人類の歴史は民衆が自由を手にする戦いとも見れます。誰からも強制されず、自由に選択し行動できることが人々の欲求であり理想だったのです。人間は本能的に選択をする・選択欲求があります。

ところで、選択には簡単なもの難しいものが存在します。難しい選択とは自身の未来に大きく関わるもの、取り返しのつかないもの、不利益を被る可能性があるものなどです。

難しい選択ほど自分自身で選択したいはずです。自分で選択しないということは「人生を運に任せること」や「他者に自分の人生を預けること」と同じだからです。

しかし、進路を相談してきた大学院生の例を思いだしてください。人はしばしば重要な選択や意思決定ほど決断を回避・後回しにして、最終的に人や運に任せるというような非合理的な決断を下してしまっているのです。

このような選択をしてしまうのはなぜでしょうか?

選択はどのように行われるのか?

難しい選択ほど避けてしまう要因は何なのか考えるにあたって、そもそも難しい選択とは何なのか?を考えてみましょう。

難しい選択の要素としては

  1. 何度も選べない
  2. 利益・不利益を被る
  3. 選択の期限が短い
  4. 選択肢が多すぎる、少なすぎる
  5. 類似の選択をした経験が無い
  6. 選択肢の良し悪しを判断できない

などが挙げられます。

選択による影響が大きいと感じるほどその選択は難しく感じます。特に、どちらの選択が良いのか?判断できなければ選ぶのは困難です。

つまり、より良い選択を行うには「良し悪しを判断するための情報」が必要なのです。

簡単な解決策は過去に同じ選択を行った人に話を伺うことです。選択肢に正解があるならそれを教えてもらえるかもしれません。

しかし、学校のテストのように選択に決まった正解があることのほうが少ないはずです。理系に進むか文系に進むか?という選択のようにどちらを選んでも良い選択の場合、良し悪しを判断するための情報として重要なものは「自分の意思」です。

答えのないどちらでも良い難しい選択をするには自分の意思を基準に選択します。だから、どちらの選択が良いのかを人に聞くだけでは解決しません。

自分が一体どうしたいのか?自分自身で考える必要があるのです。昼ごはんに何を食べるのか決めるのと同じです。カレーを食べてもラーメンを食べてもどちらでも良いのです。決めるのは自分がどちらを食べたいか?あなた自身の気持ちなのです。

自分の意思、目的・目標、将来のイメージが描けるようになると、選択肢が以前とは違って見えることがあります。別の選択肢が思い浮かぶこともあるでしょう。


選択自体に価値はない

選択に迷っていると選択自体に大きな価値・意味があると感じてしまうことが多々あります。しかし、実際には選択自体は方向性を示す道しるべのようなものでそれ自体には意味がないのです。

山登りを想像してください。山道はいくつも分岐しています。川沿いの道、険しい山頂への近道、湖を経由する道、など様々な道があります。選択とは道の分岐点に過ぎないのです。川沿いの道を選ぶか湖を選ぶかはあなた次第です。重要なのはあなたが何をしたいのか?です。山頂に登るのか?川遊びがしたいのか?湖のほとりでキャンプをするのか?目的地は人それぞれであり、それによって選択も変わるのです。川に寄り道してから湖を目指しても良いのです。

時に険しい山頂を目指す人が多いかもしれません。しかし、そもそも山よりも海が好きなら、海に行けば良いのです。本当の近道はあなたの気持ちや意思を自分自身で理解してそれに適った選択をしていくことなのです。

選択ではなく自分の意思が重要であることが理解できましたか?

自分の意思をきちんと持つことができれば選択肢を作り出すことができます。山登りの例では海に行くと言う選択肢です。

作り出せるのは選択肢だけではありません。選択の機会も作りだせます。自由になるほど沢山の選択の機会が訪れます。他人から与えられた選択は不自由な選択と言えます。自ら生み出した選択はもっと主体的でワクワクしてすぐにでも行いたいものなのです。

難しい選択に迫られた時、まずは自分自身をきちんと理解しましょう。意外なことに、自分ほど自分がどういった人間か?を知らないものです。自分が好きなこと、興味を持つこと、大切なこと、譲れないもの、いつもやっていること、尊敬する人、貢献したいこと、どんな人生に憧れるのか?それらの反対など自己分析が重要です。

自分を理解すれば難しい選択を選ぶ下準備ができます。

進路の例に戻りましょう。文系や理系を選ぶという大学進学以外にも専門学校や高専、あるいは就職という選択肢もあるはずです。選択は結局あなたがどうしたいのか?自分にとって最も適したものを選ぶだけにすぎないのです。

だからこそ、「自分の意思・目的・目標」などを明確に設定することが重要なのです。

学びは選択を拡張する

難しい選択を選ぶのに自己意思が重要であることは述べましたが、現実ではこれだけでは不足しています。

選択肢の良し悪しを考えてしまうのは当然で、しかも、実際に適した選択というのは存在するからです。

賞味期限が一か月切れた食品をたべるか食べないか?

自分の意思がどうしても食べたいと言うなら止めませんが、合理的な判断も重要です。卵なら熱を通せば問題なく食べられますが、生魚はお腹を壊すリスクが大きいでしょう。

このように合理的に良い選択をするには、良し悪しを判断するための情報が不可欠です。

良い選択をするには「知識や経験」などの学びが必要なのです。さらに人間には思考の癖であるバイアスが存在します。バイアスは人間の判断を歪めます。これらを学ぶことが第2のステップです。

学びは選択肢を増やし、目的を達する最短の道を示してくれます。

学びは人生を豊かにする助けをしてくれます。

科学は人類共通の学びと捉えると、科学の発展により、人類は科学が発展していない以前と比べて多くの選択が可能になりました。空を飛び世界中を旅行することが可能になり、多くの病気が治療可能になり寿命は長くなり、遠く離れた人とリアルタイムに話をすることが可能になっています。これまで不可能だったこと、選択肢に無かったことが可能になりました。

学びを得れば個人も選択の幅が広がり、より多くの選択肢から選ぶことも、新しい選択肢を作り出すことも可能になります。さらに学びは自身の意思を固めるのにも役立ちます。

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選択のパラドックス 選択のパラドックス 選択肢が多すぎる問題とは?選択の科学2

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