遷移金属の配位子としては、ホスフィンリガンドが代表的ですが、近年、含窒素ヘテロ環カルベン(NHC)リガンドの利用例が増えています。
このNHCリガンドはホスフィンリガンドと比べてどんな特徴、利点があるかを紹介します
NHCリガンドとは
1968年Wanzlickらによって発見から時があいて、1991年にArduengoらによって構造決定されたNHCカルベンは窒素含有五員環でカルベンが窒素原子に挟まれた構造をしています。一重項状態をとっているカルベンは反応性が高いため、二量体化しやすく、酸素や水等で容易に分解する不安定な分子です。NHCはこの不安定なカルベンを安定化させるための工夫がなされています。
1.電子的安定化
窒素原子上の孤立電子対からカルベンへの電子供与による安定化
電気陰性な窒素原子へのカルベンの電子対の非局在化
窒素原子上の嵩高いアルキル基による安定化
2.構造的安定化
5員環+嵩高いアルキル鎖による環の配座固定により安定化
このようにNHCリガンドは有機合成に利用できるほど安定になっています。
カルベンとは?
カルベンはCH2分子のうち価電子6個で電荷を持たない分子です。電子状態のとり方によって、不対電子を持たず、スピンが同じ方向を向いた三重項カルベンと非共有電子対をもつ一重項カルベンがあります。三重項カルベンは不対電子(対になっていない1個の電子)を持つためラジカル的な反応を起こしやすく、一重項カルベンは電子不足なため求電子的な反応を起こしやすい特徴を持っています。
NHCリガンドの利点
NHCはそれ自体がアルデヒドの極性転換などに利用されていますが、ここでは遷移金属に対する配位子としてもよく利用されます。NHCリガンドは窒素原子からの電子供与に由来する高い配位能が特徴で、電子供与性の高いトリアルキルホスフィンを凌ぐ配位性をもっています。金属ーホスフィン錯体へNHCリガンドを加えると金属ーNHC錯体が生成します。この例としては、グラブス触媒があります。第一世代のグラブス触媒はロジウムの配位子としてトリシクロヘキシルホスフィンが利用されていますが、水や酸素に不安定です。この第一世代グラブス触媒にNHCリガンドを加えると配位子交換が起こり、NHCリガンドを配位子とした第二世代グラブス触媒ができます。金属ーNHCリガンド結合は非常に強固で安定であり、水や酸素の影響を受けにくいです。鈴木宮浦カップリングやBuchwald-hartwigカップリング、熊田カップリングなど多くのクロスカップリング反応に応用可能で、パラジウム触媒と同等以上の反応性を持ちます。
窒素原子上のアルキル基の種類を変化させることによって、反応性を調整可能で、その嵩高さにより、還元的脱離を、電子供与性の高さから酸化的付加を促進させています。
そのため反応性の低い塩化アリール、アリールトリフラートなどを用いたクロスカップリング反応も進行します。
[box04 title=”NHCカルベンの特徴”]
・高い配位能による強固な金属ーNHC結合形成
・高い電子供与性による金属中心の電子密度の向上(酸化的付加の促進)
[/box04]
合成上の利点
・塩化アリール及びヘテロ環や極性官能基を有する基質のクロスカップリング反応に有効(ホスフィンは被毒が問題になる)
・酸素や水に対して安定で、脱水や脱気をしなくても反応可能
・高い反応性から触媒量を低減可能
・ホスフィン配位子由来の精製の困難さが回避可能(NHC-Pd結合が界入りせずにろ過で除去可能)
・熱的安定性が高いので高熱条件も可能(DMSO中120℃でもPd-NHC結合が解離しない)
・水を加える鈴木宮浦カップリングなどでも利用できる
Pd-ホスフィンリガンドシステムでは合成が難しいチオフェンやピリジンなどのヘテロアリールを用いたクロスカップリング反応に好適です。Pd-NHCリガンドが強固で、これらの配位性ヘテロアリールよりも配位能が高く被毒を受けにくいこと。さらに嵩高いNHCリガンドによる立体反発をうけることが理由です。Pd-ホスフィンリガンドは配位能が弱く、硫黄などの配位能が高い配位子と入れ替わってしまうとホスフィン配位子がPdに配位できなくなり、活性が失われます。(ホスフィンリガンドも高い配位能、及び嵩高さを有するリガンドが開発され、ヘテロアリールのクロスカップリング反応で利用されているものもあります。)
NHCリガンドの選び方
NHCリガンドとしては、2,6-ジイソプロピルフェニル基が窒素上に置換したものがスタンダードです。
イミダゾリリデン型のもの→IPr
イミダゾリニデン型のもの→SIPr
の2つを試すのがおすすめです。